アコースティックサウンドを再現!HMV194型 蓄音機
当工房に設置されている蓄音機は英国EMI製194型である。
略称としてHMV194(いちきゅうよん)と呼ばれている。
英国EMIは現在のEMIの前身であり、小型から大型フロアースタンド型までの数多くの蓄音機を製造販売していた。
HMV194は大きさとしては中型で設置面積は90㎡を必要とする。畳半畳程の 大きさで、4丁ゼンマイと筐体内に大口径ホーンを持ち音像は立体的で、音域は 当然狭いが音楽鑑賞に支障はない。拙宅のHMV194はオーストリアの屋敷に置かれていたらしい。
『良き演奏』『良き曲』『良き針』『良き蓄音機』で再生される歴史的名演奏を聴くと 現代の演奏に首を傾げる事がある。現代の演奏は中には良い演奏もあるが、人工的、 生気が無い演奏が多い。テクノロジーは発展していて音はダントツに良く なり、素晴 らしい音なのに何故でしょうか?
以前、日本人の有名ギタリストがギター協奏曲を録音していたビデオを見た事がある。
何と録音はオーケストラとギターが別々のスペース(部屋)で録音をして音をミック スしていた。
技術の進歩は素晴らしい。別々に録音した演奏をあたかも、同時に録音を行った様にマスタリング出来るのである。
当然、音のズレ、不完全な演奏も何でもデジタルの技術で調整可能で、自由に音は作れる。そこは音楽工場で、極言すれば、ピアノのキーを一音一音叩いた音を録音しさえすれば、デジタルの技術で音の強弱からメロディーまで加工は自由自在に可能で優秀なピアノ演奏家による演奏が出来上がってしまうのです。
そして。これらのレコードが何とかの賞を取ってしまう。
この20年近くのレコードを聴いていると、音は美しく、揃っていいるが、何か生気が無い、感動を感じないなのは、この辺りが原因?だと思う。音楽愛好家を詐欺にかけている様な行為が平然と通っている。この行為が音楽産業の問題でないのでしょうか?
SPレコード時代の録音が、一回切りの録音で当然、独奏者とオーケストラを別々に録音し 合成するといった技術はない。そこには、演奏者と録音エンジニアが真剣白刃で音楽へ立ち向かう姿勢があったのでしょう。音楽は正しく向き合えば、感動と慰めを与えてくれる。
私はそうした音楽を愛したい。